最近、持っているブルートゥースイヤホンのイヤーピースを失くした。
前々からよく外れて煩わしく思っていた。
いつか失くなるだろうなとは思っていたので覚悟はしていた。
なので今の通退勤のBGMは電車内の環境音である。
イヤーピース買わなきゃと思いつつも面倒で買う気も起きない。
そして、Apple Musicのサブスクリプション料を日々無駄にしている。
-------
音楽のダウンロード販売が始まり、サブスクリプションの時代になったと言われて数年、音楽との接し方はだいぶ変わってきたように感じる。
私がよく聴くジャンルはあまりサブスクには登録されていないことが多いので、Bandcamp などで入手した曲を聴くことが多い。
ただ、最近はサブスクにも井上陽水、松任谷由実など名だたるミュージシャンが登録されたりしたのもあり、少しずつ聴くようになってきた。
(私がApple musicを使用する目的のほとんどはiCloudミュージックライブラリの利用である)
逆に、CDを使って音楽を聴く機会がほとんどなくなってしまった。
CDを使うのは、パソコンに音楽データを取り込む時だけ、あとは棚の肥やしになっている、という人は少なからずいるのではないだろうか。
-------
CDという媒体で音楽を所有する、という時代が終わりを告げていると感じる。
音楽を聴くというだけであればサブスクで問題ないし、所有したければダウンロード販売で問題ない。(そういう売り方をしていなければCDを買うしかないのだが)
ただ、次のような反論があるだろう。
「CDは音楽だけでなく、ジャケット、歌詞カード、ライナーを含めた芸術作品である。」
確かに、CDの中身以外の部分にも芸術性を置いた素晴らしい作品はいくらでもある。聴くたびにそれを見返すというのも趣がある。
ただ、CDという記録媒体にこだわる理由になるのか?
現在、同人音楽界隈でもダウンロードコードによる音楽販売は浸透しつつある。
例えば、ジャケットテイストの厚紙にDLコードを印刷する手法。この方法でも芸術性は充分伝えられる。
例えば12cm×12cmの小冊子にDLコードをつけてみる。CDの歌詞カードと遜色ない情報量になる。
ノベルティグッズ+DLコードだって可能だと思う。
例えば、CDを模したコースターを付けてみるのはどうだろう?
-------
音楽を所有する、という意味合いが、昨今のインターネットにより急速に変わりつつある。
と同時に、音楽を聴く場面、場所というのも大きな変化を遂げた。
ポータブルな音楽環境は、カセット、CD、MDときて、デジタルオーディオプレイヤー(DAP)、そしてサブスクリプションの時代になった。
カセットやMDの時代は、基本的にCDからの同時録音が基本だった為、一回はCD作品を通して聴くというプロセスが必要だった。(CDの複製が一般化されたのはMDよりも後だったと思う)
DAPやサブスクが主流になった時代、つまり、好きな曲を選んで、もしくは膨大な音楽データからシャッフルで聴くというスタイルが一般的になったとき、アルバムという単位が意味のないものになってしまっていると感じる。
作者の意図のもと入れられたアルバムの合間に入っている無音、短いインタールードが蔑ろにされてしまう可能性がある。
-------
今、音楽作品の形態として、またレコードやカセットに光が当たっているのは、単に蒐集嗜好を刺激するとかコマーシャル的な部分とかとは違う何かを感じている。
レコードもカセットも、収録されている音楽を通して聴くことになる音楽媒体である。
あまり曲のザッピングには向かない。
また、CDという一度開封したらそのままお蔵入りされかねない存在と違い、また腰を据えて聴こうという、ある種「所有することによる使命感」のようなものが生まれる。それは、実態を持ったものを持つということの歓びだと思う。
そんな意味合いもあり(ジャンル的にDJユースだからという側面もあるけど)、今年春にレコードをコンピレーションという形で自主リリースしてみたわけだ。
良い経験ができたと思っている。(少なくとも、プレスされた現物が手元に届いた瞬間までは楽しかった)
だから、今後も何かをリリースするときには、何かアナログな、実態を伴ったものにしておきたいな、と思っている。
あなたがそれを作品と見てくれるか、ゴミとみなすかは私にはわからないけど。