お久しぶりです。
転職して、7月から新天地に身を投じたわけですが、ここが中々に激務で入社3日目で残業開始…現在は実習をやりながら実務をちょこちょこやりながらと、割と忙しくしています。
それを理由にするのもアレなのですが全然ブログ更新できていませんでした。今日は前回の生活編の続き、題して文化編として記していきたいと思います。
■ いい人が多い、気がした
これは人によるんだろうけど、私が関わった現地人に関してはいい人ばかりだったように思います。
日系企業の駐在員として行っていたわけで、そこで働く人には日本アレルギーはないわけで。割と皆さんよくしてくれたなぁ、と感謝の気持ちでいっぱいです。
あと、物事に取り組む姿勢が粘り腰だったように感じました。電話とかで慣れない中国語を伝えているのには耳を傾けていたように感じました。
■ ヤンキーゼロ、外面はいいけど…
びっくりしたのは、ヤンキーが0と言っていいくらいにいないことでした。
日本だと、夜9時くらいのコンビニの前に中高生がタムロしてるなんてことは割とよくあるシチュエーションですし、最近の名古屋だとドン横とかそんな感じで、近年の日本を見て治安がいいとは思ったことないです。
対して、上海ではそういう集団は見かけませんでした。旅行いった先でも、そう見かけなかったように思います。夜は安心して歩けます。何なら、私の住んでいた日本人居住地あたりではKTVのチャンネーの同伴を連れた日本人駐在員が目に付き、なんだかなと思った次第です。
会社がウェイシンなどを使って宣伝の投稿をすれば、かなりの人がその投稿をシェアしたり、会社の業務外活動が頻繁に行われていたり、それに結構ノリノリで参加したり、メンツ主義というわけではないけど、品行方正というか、そんな感じを受けました。江沢民以降の道徳教育の賜物なのでしょうか。
それでも、ロックダウンとなれば文句は出るようで、あっちの配給に比べ我々の区はショボいだの、ゼロコロナはもう無理だの、ロックダウン期間中のアパート内グループチャットは不満タラタラでした。
ブラックな一面を見られたのも、ロックダウンならではなんでしょうかね。
■ 街はノイジー
日本だと電車内とかバス内とか、せいぜい一部のおしゃべりがあるくらいの騒がしさだと思いますが、上海は喋り声はもちろん、ウェイシンや抖音のリール動画をスピーカーたれ流しで見ているなんてのは割とザラです。慣れてしまえばって感じですが、日本に戻るとやけに静かに感じました。
ただ、やっぱりうるさいよねって声もあるらしく、高鉄(日本でいう新幹線)や地下鉄の一部で静かにしよう車輌があったりと少しずつ潮目も変わってきてるのかな?とも思います。
■ アンダーグラウンド音楽文化の考察
クラブミュージック(特にテクノ)が好きで、たまにクラブに通っていましたが、とりあえず情報にありつくのが大変だったように思います。風営法みたいなのは中国にもあり、より厳しく規制されているようで、日本よりもアングラ感は強いです。
ただ、老板(オーナー)は金持ちが多く、立地とか設備とかなかなか良い。44kwというクラブにはvoidが設備されてた。
来ている客も、中国人については割とナード層、インテリ層が多い印象。活気はかなりあるように思います。が、耳が肥えているという域に達している人は少なそう。みんなでワイガヤしてるから来ました、的な部分も多いようです。
DJやライブをやっている人たちは海外留学帰りの人や、香港出身の人、国内組だとアンテナバリ高い人、あとは外国籍の人という感じでした。ただ、DJは上海に多いというわけではなく都市ごとに得意ジャンルがあるらしく、各都市に遍く散らばっているため結構遠征が多い模様。それでも金持ちな老板は一夜のために数千元と移動費をサラッと出すフトコロ具合。
上海に行ってDJデビューした日本人の人とも交流しましたが、なかなか楽しそうでした。強くてニューゲームって感じですね。私は日本でも上海でも、波にうまく乗ることができていないようです。
行ったクラブ
All(巨鹿路)
44KW(淮海中路 テクノ箱とチャラ箱のハイブリッド。ここのテクノ箱はvoid入ってて好きでした)
Elevator(徐家汇 テクノ、ハウス dominaみたいな懐の深さが好きでした)
Heim (陕西南路 テクノ、ハウス 飲み屋ビルの奥にひっそり佇む隠れ家的なクラブ)
上海という大都市から、また知多半島に逆戻りということで、小規模に生活を始めてはいますが、こうやって振り返るとやはり一抹の寂しさを憶えます。
まぁでも、望んで帰ってきたので、しばらくは小規模に頑張っていきたいと思います。
このブログもどうしていくか、という感じですが、バイクも買ったということで、書きたいことも色々出てくるかもなので、書きたいときに書きたいことを書いていきたいと思います。
何ならブログで飯食いたい。